2015年7月1日水曜日

文月ー7月:ナガミヒナゲシ Long-headed Poppy June 2015

文月ー7月:ナガミヒナゲシ

夏の草原で


(Papaver dubium, Order: Ranunculales, Family: Papaveraceae, Genus: Papaver )

(ケシ目、ケシ科、ケシ属)




ヒナゲシ、英国では戦没者追悼の花(remembrance poppy)として知らない人はいないほどです。英国在郷軍人会(The Royal British Legion)という全国的な慈善組織が、11月11日の戦没者追悼の日(第一次世界大戦の停戦日、1918年11月11日)前後に、Poppy Appealと銘打って、赤いヒナゲシの花のブローチなど販売して寄付を募ります。英国では、あまりに一般的なのですが、もともと第一次世界大戦の戦没者ならびに負傷者、その家族のために募金活動が始まったのですが、今ではアフガニスタン戦争や最近の戦争などに関わった人達への支援も行っています。

赤い紙で作られたポピーが英国の至るところに見られるのは、晩秋から初冬にかけて。でも、実際のヒナゲシは夏の草原に咲きます。

ヒナゲシにはいくつかの種類があります。その多くは、花弁のまん中が黒いので、赤い花びらの中に大きな黒点があるように見えます。Poppy Appealで使われる花は、common poppy(ヒナゲシ)です。

ビクトリア王朝(19世紀後半から20世紀初期)時代にイラストレーターとして活躍したCicely Mary Barkerの花の妖精シリーズの夏編、Flower Fairies of the Summer (初版は1925年)に登場するヒナゲシの妖精も、赤い花びらに黒いぽっちりのあるヒナゲシ(common poppy)です。黒く長い髪を持つ、きりっとした少女です。

ずいぶん前になりますが、庭の隅に、小さなワイルドフラワーの一角を作りたいと思って、園芸センターでワイルドフラワーと書かれた花の種を1袋購入して春先にぱらりと蒔きました。

7月になったある日、青いヤグルマソウや、白いマーガレットの中に赤い花が咲き始めました。ヒナゲシです。Common poppy のどちらかというと豪華な花の他に、ほわんとやわらかい雰囲気を持っているヒナゲシもありました。

ナガミヒナゲシは、花弁のまん中に黒点を持つヒナゲシの種類とは異なり、ややピンクがかった赤の花びらです。まん中には、黒い点はなく、緑の雌しべがぽっちりとあるだけです。名前の由来からもわかるように、実も他のヒナゲシとは異なり、細長い形をしています。とげとげした毛もなくスムーズです。

そういうた容姿になんとなく魅かれました。それで版画にした次第です。

スティーブン・モス(英国のワイルドライフ/野性生物に関するライター、ブロードキャスターでありTVプロデューサー)の著書、The Bumper Book of Nature (by Stephen Moss, 2009, Square Peg) (『自然満載の本』とでも訳しましょうか)が手元にあります。その中で、ヒナゲシの花は7月20日の聖マーガレットの日(キリスト教やユダヤ教での聖人の祝日、日ごとに数名の聖人の名前が冠してある)の前後に開花すると言われているそうです。スティーブン・モスは、1893年、100年以上も前に出版された Weather Lore by Richard Inwards, 1893.)  (『天気に関する本』)から1年分(1月は掲載されていない)の主だった植物ををリストにして引用しています。聖人の祝日と植物の生育をうまくむすびつけたのかもしれません。

私たちの住む町に、ヨットハーバーがあります。そのそばに公園があり、夏になるとワイルドフラワーが咲き誇ります。私たちが引っ越してきた当時には、単なる荒れた原っぱで、あちこちにプラスティックの大きなチューブなどが横たわっていました。歩いて楽しいような雰囲気ではなかったので、長いこと通ったこともありませんでした。

調べてみると、どうやら、昔はゴミの埋め立て地だったようです。ゴミが埋められた後、ガス管や下水管などが整備され、その上にワイルドフラワーの種が蒔かれ、住民の憩いの場になったのは、数年前からなようです。英国では、そのような場所があちこちにあります。

この辺りで完全な野性のヒナゲシを見たことは、残念ながらありません。

半七捕物帳で知られる岡本綺堂(1872-1939)の随筆集に納められた随筆の一つに、フランス旅行記があります。時は、ちょうど第一次世界大戦直後、1919年の初夏、ランスの町の戦争痕の見物というのを、トーマス・クック旅行代理店が企画していて、パリから蒸気汽車に乗って郊外のラーンス(Reims)を訪れます。

彼の描写は、人々だけでなく、風景も詳細です。ヒナゲシは、随筆のあちこちに登場します。

〜途中で汽車がトラブルで停車した線路を横切る小川の傍らにヒナゲシの赤い花とブリューベル(英国のブルーベルと同じとは思えないが)の青い花が川辺の柳の下に咲いている。あるいは、壁の弾痕生々しい町のトチノキ(マロニエ)の並木の下にも、ヒナゲシはしおらしく咲いている。かつての戦場だった草ぼうぼうの野原には、一面のヒナゲシの花の紅い色に染まっている〜

ヒナゲシは、ヨーロッパの人々にとっては戦争で傷ついた心と結びついた思い入れの強い夏の花です。